声をカタチに

家族を守る家を100年もたせる

声をカタチに

100年企業を目指して

池田邦雄と池田義徳

 

声をカタチに
池田義徳、という男。

先代の教え

「がんばれ。しっかりやれよ。」
年に1度の感謝祭「ふれあい祭り」の進行状況を報告した病室で言われた、一言です。肺ガンを患い、既に声にならない先代の、私への最後の言葉でした。仕事の時も普段も、多くを語らない、大変厳しい人でした。「人に迷惑をかけるな。」は絶対で、学生時代に髭をはやしていた時期があったのですが、家に帰るなり「剃れ。」と一言。お客様が不快に、迷惑に、思われることがあるかもしれない。一切目立つな。控えめにしろ。いい車に乗りたいなら、他にとめてこい、と。それが地元で商売させていただくということだ、と教えられました。 

男ばかり、3人兄弟の一番上。「2代目」という無言のプレッシャーが嫌で嫌で仕方ありませんでした。家を継ぐつもりなど全くなかった私が選んだのは経済学部。それなのに、大学2回生の時、経済学部に通いながら、誰に言われるでもなく、建築の夜間専門学校に通い始めました。就職先も大手のゼネコン。現場監督を7年間務めました。誰が聞いてもこれは正に家を継ぐための準備。では、何がきっかけで?そう問われても、未だにはっきり応えることができない自分がいます。

先代の教え

 

100年企業

先代がこまめに現場に顔を出していたことは、OBのお客様ならずとも周知の事実。「月間50日間労働」を本当にやってのけた、偉大な人でした。その地盤があるからこそ、今、池田邦が存在することを身に沁みて感じています。そして、それは簡単に真似できることではない偉業である、ということも。

「現場に顔を出さない。」先代をよく知る、あるお客様からひどくお叱りを受けたことがあります。本当によく叱られました。でも叱りながらも、いつも私を呼んで下さるのです。
そして「いつまでも先代のことを思ってたらあかん。自分は自分でしっかり頑張らなあかんで。」というお言葉をかけていただけるようになるまで、とことん私に付き合って下さいました。今でも良いお付き合いをさせていただいています。ありがたい、もうその一言しかありません。

先代は、こつこつと石橋をたたいて、たたいて渡る人でした。私はと言えば、全くの正反対。考えるよりも行動。まずやってみようというタイプ。でも、先代が亡くなってからは慎重にものを考えるようになりました。先代がいたから自由に行かしてもらっていたのだと、今ならわかります。

きちっと建てた家は、手を入れてやれば、必ず100年持ちます。病気と同じで早期発見すれば長持ちするのです。家が100年持つということは、池田邦も同じだけ継続しなければなりません。家族を守る家を100年もたせるために、私、2代目池田義德が皆様に一番にお伝えしたいのは、「何でもおっしゃってください。」その声をカタチにするのが100年企業を目指す、池田邦の使命です。

私も50の扉を開けました

▲私も50の扉を開けました。もう、髭をはやしても許してもらえるでしょうか…(笑)

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